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英連邦戦死者墓地訪問(3) [横浜散歩]

2回に渡って書いてきましたが、残っている国がありますので続けます。イギリス軍の墓地を
見ていただきましたので、同様なので画像も省略しながら他の軍の墓地を記します。


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インド及びパキスタン軍墓地
十字架はありません、宗教の違いからでしょう。このオベリスクにはご覧の通り、INDIAN FORCESと
PAKISTANが刻まれていますが、パキスタンは正門の説明板から消され、近年のパンフレットにも
国名が載っていません。何があったかわかりませんが、この墓地にはパキスタンの兵士も眠っています。

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各軍の墓地はご覧のような遊歩道と樹木で繋がっています。芝生だけでなく樹木も手入れされています。
四季の新緑・紅葉が綺麗です。


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オーストラリア軍墓地

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オーストラリア軍墓地の先にはニュージーランド及びカナダ軍墓地が。

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目線を下げて墓標を見て歩き疲れました。青空のもと十字架が何か云っているように見えました。


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当墓地は13haあります。周りの林は自然に任せているようです。


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児童遊園地から谷越えで墓地方向を見てみました。墓地は奥に見られる高木の中にあります。

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この土地はもともとひとつでしたが児童遊園地から割譲されました。地続きの両施設は塀で区切られています。


なんでこの墓地が横濱に造られたのか、それは敗戦後横濱はイギリス軍の管轄下にあったからでです。
収容所で死去し各地に分散していた戦死者がここに集められました。日本唯一の墓地です。
わたし等は生まれ故郷に葬ってもらいたいと思いますが、連邦は1917年、戦死者の遺体は本国に
送還せずに現地に埋葬と決めていました。世界各国には200箇所あるいは2000箇所墓地があるそうです。
(規模の大きさで計算すると)
それを英連邦戦死者墓地委員会が維持管理しています。大事にしているようです。何年ごとにでしょう
大使館関係者や民間人によって追悼式が行われています。過去にはエリザベス女王ご夫妻、ダイアナ妃
ウイリアム王子、サッチャーさんなどが来日の折に訪れています。

ここは知る人は少ないと思います。山手の外人墓地は有名ですが、ここはあくまでも墓地です。観光地化
したくないと宣伝もしていません。

毎年のことですが歩いたりベンチで休憩しながら景色を眺めていると妄想が湧いてきます。
戦争は国と国との戦いというが、本当だろうか。個人と個人の生死をかけたものではないのか。
縄文時代の集落同士には戦いがあったんだろうか。
大国の首脳は自分の都合で自分に都合のいいように国境を作っているんだ。
国境がなくなったらどうなるだろう。
なぜ神様は肌の色を同じにし、言葉を同じにしなかったんだろう。
神様はなぜ神を自分の都合のいいように利用する輩を育てたんだろう。
ここに眠る1800人は南方で日本軍の捕虜になり,日本に輸送され収容所に入れられ苦しみのうちに
死んだのだ。かわいそうに、なぜ日本人はそういうことをしたのかと思う人もいるでしょう。
逆の立場を考えると、日本人も捕虜になり抑留され死んでいった人がたくさんいます。
だから戦争はしてはいけないと考えるべきですね。国民ひとりひとりは悲しんでいます。
古代ローマのコロッセオで大観衆の前で戦った戦闘士、先日のパリ・オリンピックを見ていて
思い出しました。戦うのは人間の性ですね。
これで英連邦戦死者墓地はオシマイです。支離滅裂なブログを見ていただき、ありがとうございました。

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英連邦戦死者墓地訪問。 [横浜散歩]

きょうは8月15日。一般に云われている「終戦記念日。わたしはこの云い方が好きでないです。
わたしは頭の中で「敗戦の日」と繰り返しています。
毎年のことになりましたが、「英連邦戦死者墓地」を8月15日に訪れています。それは敗戦の日と
関連付けています。
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国道1号線を保土ヶ谷駅の方から戸塚に向かい、権太坂を過ぎたあたりに「市児童遊園地」交差点が
あります。そこでバスを降りて左に入ってなだらかな登り坂、下り坂をカーブに沿って15分ほど歩きます。
この道の左側がいつも行く児童遊園地、道路を挟んで右側に横浜市こども植物園があります。

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正門

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門の側に説明が立てられています。

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門を入ってすぐの左側にユウカリの大木。

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きょうは蝶がお出迎えでした。

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訪問者は名前を記載します。

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この門はここから墓地ですよという門なんでしょうね。白い十字架が見えます。

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門にはこのプレートが付けられています。

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門を入ってすぐにあるのがイギリス軍墓地。
この墓地にはイギリス軍の他にカナダ・ニュージランド・オーストラリア・インド・パキスタン等の
兵士らが約1800人埋葬されています。
長くなりますので、きょうはここまでとし、次回に続きます。

本日はこれにて。

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久しぶりの三渓園です。 [横浜散歩]

きのう(5月10日)は三渓園、久しぶりです、昨年の遅い紅葉の時期以来です。
ヤッペママさんのように虫や花を探せませんので、今の時期は見るものがないのですが、
いや、ひとつだけ見たいものはありました。それは後ほど。


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正門を入って左手の大池に対面。いつもは大池とそこに浮かぶ舟そして遠くの山頂に立つ
旧燈明寺三重塔を写すんですか、きのうはカメラを向ける方向を振ってみました。
真ん中に鶴翔閣を置きました。三渓が住まいとして建てた、延床面積950m²の規模の建築。

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大池と道路を挟んで右側には蓮池があります。なにか白い鳥が動いていました。

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蓮池の並びには睡蓮池。一面に白い花が。1
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三渓記念館に含まれる管理事務所の前には笹だけの植え込みがあります。
実はこの笹竹に咲く花が訪れる目的でした。今年の天候から思うに、もう終わったか
まだ咲いているか気になりました。

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30分あまり探してやっと見つけました。毎年見ていたのはもう少しぶら下がっています、
早く咲いて散ってしまったのでしょう。
竹の一生は数十年ですが、花が咲いて枯れると云われています。諸説ありますが、孟宗竹は60年、
真竹は80年、笹竹は花が咲いても枯れません。眼の前の笹竹は毎年見ていますが枯れません。
竹の種類によって様々なようです。花が咲くということは子孫を残すためでしょうか。

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想像通り建物は緑の中に埋もれていました。
左から屋根付きの橋(パンフレットに名前なし、真ん中は聴秋閣(春日局ゆかりの楼閣建築)
右は臨春閣の一部。。

園の面積は5万3千坪あり、各地から移築された歴史的建造物が17棟ありますので」
ほんの少々のアップとなりました。


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旧天髄寺寿塔覆堂
豊臣秀吉が京都・大徳寺に母の長寿祈願のために建てさせた寿塔(生前墓)を納める
ための建築。
この建物の後ろには大きな大きなイチョウがあります、樹齢、450年とか。
秋には紅葉し落葉で地面が黄色い絨毯を敷いたようになります。
周りには紅葉した木々が並び見事な景色になります。

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この覆堂の右側は緑の絨毯でした。

時刻は12時。10時から見て回ったのでいささか疲れました。はんぶんほどしか巡っていませんが
腹も減ったことでもあり、中止にし帰路につきました。
2時間の滞在でしたが休まずに歩きましたので疲れました。


本日はこれにて。 

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山手イタリア山庭園 [横浜散歩]

12月8日、三渓園を訪れましたが、大銀杏が落葉していて意気消沈。早々に三渓園を
出ました。まだ昼前でしたので、山手本通りに行こうと、バスに乗り、元町で下車。
ちょうど昼でしたので、腹ごしらえをしようと日高屋へ。この付近に来ると日高屋で
食べることが多いです。日高屋では野菜が多いタンメンを注文。好きなんです、ここの
スープの味が。
腹ごしらえをして、大丸谷坂を登って山手イタリア山庭園を目指しました。この日は山手本通りを

ずーっと歩く気はありませんでした。精神的に疲れを感じていたのです。
「ブラフ18番館」と「外交官の家」だけとし、それも内部には入らないと決めて。

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ブラフ18番館では大きな銀杏の木を見たかったんです。帰宅後PCに入れて見たら
ブラフ18番館の建物を写していませんでした。
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以下は外交官の家と銀杏を絡ませました
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左側の茶色の並木はメタセコイアです。春の新緑も好きです。
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中途半端な歩きになりました。山手イタリア山庭園も、きっとクリスマスのデコレーションを
目指して多くの人が訪れているでしょう。新春のデコレーションもいいですから、次回は
それを写しに訪れます。クリスマスよりは混み合わないと思います。
きょうは冬至ですね。冬至南瓜・・・わが家では食卓に出てきませんでした。ゆず湯・・・
わが家はお風呂を沸かすのが一日置きで、きょうは風呂なしの日でした。
あすから日が伸びます、嬉しいですね。母親は云っていました.針の穴ほどずつ
日が伸びる、と。

本日はこれにて。

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大銀杏は散っていました。 [横浜散歩]

早朝の気温は13,5℃、日中は23,5℃まで上がりそれからダウン。
暖かい日で、食料品などを買いにスーパーに行きましたが、ダウンの
ベストは脱いで出かけました。それでも汗ばみました。
来週は寒くなり、最低気温が1℃になる日があるとか。


三渓園が続きます。

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御門から進んだところに「臨春閣(りんしゅんかく)」。
紀州徳川家初代藩主の頼宣が和歌山・紀の川沿いに建てた数寄屋風
書院造りの別荘建築。建築年:江戸時代慶安2年。移築年:大正6年。

中央奥に小さい白壁が見えるのが「聴秋閣(ちょうしゅうかく)」。
建築年:江戸時代慶安4年。移築年:大正11年。京都・二条城内に
あったと云われる、家光、春日局ゆかりの楼閣建築。

近づこうとしたが観光客も多く、紅葉もイマイチなのでスルー。


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「旧天瑞寺寿塔覆堂(きゅうてんずいじじゅうとうおおいどう)」を見るのが
目的ではありません。その裏側にある大銀杏に用があリました。
この時期、三渓園を訪れるのはこの大銀杏が目的。
残念ながら終わっていました。見頃に来たときは、様々な角度から
写し、ここに30分以上留まるのが常だったんです。

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積もる銀杏の葉を見て諦めました。

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「海岸門(かいがんもん)」
御門と同じ、京都・西方寺にあったもの。周りに最盛期が過ぎたとはいえ、
紅葉がまだまだ見られる状態でした。

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写す位置をちょっと変えて海岸門の周囲の紅葉。

おまけ
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海岸門を昔のモノクロ風にいじってみました。
昔は紅葉はどのようにして表現したんでしょう。

大いに期待して大銀杏に近づいたのですが、残念無念終わっていました。
意気込んでいたのですが、一瞬にして・・・・・。
他を見る意欲もなく写す意欲も薄れて早々に退園。気分を変えようと
途中でバスを降り、山手のイタリア庭園の銀杏に向かいました。


本日はこれにて。

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6ヶ月ぶりに三渓園へ。 [横浜散歩]

ふたご座流星群を、13日夜から15日早朝に見られると聞いたので、昨夜9時過ぎ
から時々空を眺めていました。今朝も4時頃にいつものように起きられましたので
空を見上げたのですが、流星は見られませんでした。

おかしいなと思いながら調べてみたら14日夜から15日早朝に出現すると書いて
あるものがありました。わたしの勘違いだったようです。
今夜、9時以降に見られるとしても雲の状態はどうでしょう。

毎年何らかの流星群が出現するんですが、残念ながら一度も見たことがありません。
夜の街の明かりで星も見えないところに住んでいますから、流星も見えないのかな。


6ヶ月ぶりに三渓園を訪ねました。

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大池。いつもは左方向に見える三重塔を入れるんですが、今回はあえて除外しました。

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大池越しに、鶴翔閣(かくしょうかく=原三溪の住まい)。

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やはり三重塔は写したくなります。少し戻ってパチリ。様々な種類の鴨が来ていました。

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鶴翔閣に近寄って。
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蓮池。三脚を立てている人が一人いました。カワセミを待っていたんでしょう。


以下は、御門(ごもん)の周囲で写した紅葉です。
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白雲邸(はくうんてい)。三渓が夫人とともに暮らした隠居所の一部と裏山の黄葉。


本日はこれにて。

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